岡田斗司夫と宮崎駿の知られざる関係

岡田斗司夫

自身のYouTubeチャンネルでジブリ作品の批評を繰り返す評論家の岡田斗司夫とジブリ宮崎駿は一体どういう関係なのだろうか?

宮崎駿を激怒させたこともある岡田と宮崎の関係性についてまとめてみた。

宮崎駿を知ったのは、庵野秀明が異常に熱狂していたから

岡田斗司夫が宮崎駿を初めて認識した1980年代。

学生の頃に出会った庵野秀明が、宮崎作品を見て興奮して絶賛していた姿に衝撃を覚えたからだという。

当時、岡田は自身が運営する日本SF大会(DAICON3ダイコン・スリー)のオープニングアニメを庵野らに頼んで制作させていた。

庵野らは岡田の豪邸の大型プロジェクターで日々、アニメを研究していたのだとか。

当時の庵野秀明の宮崎作品への熱中の様子を岡田は著書「風立ちぬ」を語る」でこう振り返っている。

岡田:その頃は、宮崎駿も、今のような世界に誇るアニメ監督というわけではありませんでした。それでも庵野秀明は、「宮さん、宮さん」と親しみを込めて呼びながら、何度も宮崎駿のすごさを、まわりの人々に熱心に語り倒していたのです。(「風立ちぬ」を語る~宮崎駿とスタジオジブリ、その軌跡と未来~より)

 

後に庵野が「もののけ姫」公開時に「宮崎駿は全然ダメになった」と大批判していたのは、もともとリスペクトの気持ちが強いからこそなんですね。

 

特に庵野は、アニメ版「ルパン三世」の宮崎監督回の爆発シーンを何度も何度も見ていたという。

岡田:爆発のタイミング、炎や煙の色、広がる速度…。それらのタイミングに合わせ、口から効果音を出し、両手で爆発の速度や威力を再現しようと試みる。庵野は宮崎駿のアニメーション技術を、まさに全身で「体得」しようとしていたのです。(「風立ちぬ」を語る~宮崎駿とスタジオジブリ、その軌跡と未来~より)

 

この庵野が全身で体得する姿勢が、モーションキャプチャーでウルトラマンを演じたりするエピソードにつながっていますね。

そんな、庵野の異常な熱狂ぶりを見て、岡田も宮崎作品に興味を持ったのだという。

庵野秀明をスカウトに来た宮崎駿と岡田が対決!?

日本SF大会も終わり、庵野ら制作メンバーは、「超時空要塞マクロス」や宮崎駿監督作「風の谷のナウシカ」の制作現場に参加してプロのアニメーション制作を学んでいた。

そして、満を持して劇場長編アニメ映画「オネアミスの翼」の制作が決まり、ガイナックスが設立された。

岡田は庵野を制作メンバーの中心に据えたが、「天空の城 ラピュタ」制作中の宮崎駿から庵野を引き抜こうとちょっかいを出されたのだという。

当時の様子を岡田斗司夫は自身のYOUTUBEチャンネルでこう語っている。

岡田:「風の谷のナウシカ」の巨神兵のシーンを庵野にまるまるやらせて、こいつ使えると思って、「ラピュタ」でも庵野秀明の見せ場をつくっていたら(笑)庵野は大学の時の友達である俺たちに誘われて「王立宇宙軍 オネアミスの翼」っていう作品に連れて行かれてしまったと。で、宮崎駿先生、よっぽど悔しかったか、一時期週に1、2回ガイナックスに夜中に来て、(庵野秀明を)スカウトするという業界の掟破りなことをしだして(笑)

岡田斗司夫のYouTubeチャンネルより

そんな宮崎駿だが、「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の出資社であるバンダイからこの企画が成功するか、意見を求められていたのだという。

宮崎は、日本SF大会のメンバーや、自身が「風の谷のナウシカ」の原画も任せた庵野秀明らが、やるのなら面白いんでしょうと返したという。

宮崎の発言で、バンダイも納得して企画は前向きに進んでいったのだとか。

宮崎駿が後輩のクリエイターたちの後押しをしたという良いエピソードですね。

岡田斗司夫の発言で宮崎駿を激怒させてしまう!?

岡田が初めて宮崎駿に会ったのは、アニメージュグランプリの現場だそうだ。

当時、岡田は、宮崎駿作品の海外版までチェックをするというオタク活動をしていたという。

岡田は、「風の谷のナウシカ」海外版で、重要な部分はいくつもカットされ、全体の動画のスピードを何%か早回しにされていることを発見。

そんな状況に憤りを覚えた岡田は、アニメージュグランプリの現場で宮崎駿と直接対面した際にこう言ったのだという。

いや、宮崎さん海外版なんか酷いことになってますよ!そうしたら、宮崎駿が立ち上がって、鈴木敏夫に詰め寄って怒鳴りだして「俺はもう帰る!」って(笑)

岡田斗司夫のYouTubeチャンネルより

実は、鈴木敏夫は、当然、海外版がそのような状況下にあることは認識していたのだが、それを宮崎に知られると、「もう海外版は出さない!」と言われるに決まっているので、情報を伏せていたのだという。

その後、岡田は鈴木敏夫に「言いたいことはわかるが、場をわきまえろ!」とこっぴどく怒られたのだという。

まとめ

岡田斗司夫と宮崎駿の関係性を調べると、下記のようなことがわかりました。

●宮崎駿を知ったきっかけは、制作仲間の庵野秀明が宮崎作品に熱狂していたから

●ガイナックスの長編初作品『オネアミスの翼』制作時に、宮崎駿から庵野秀明を引き抜かれそうになり対決した

●岡田が『風の谷のナウシカ』海外版の変な編集に苦言を呈したところ、宮崎駿を激怒させた

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