ジブリプロデューサーの鈴木敏夫は、宮崎駿にとっての仮想敵は、ずっと高畑勲だったとあらゆるメディアで語っている。
鈴木は宮崎と毎日会話するそうだが、半分は高畑勲の話題であったそうだ。
高畑勲がつくるから、自分もやるし、高畑勲にまだつくってもらいたい、そんな想いが宮崎にはある。
高畑に片思いし、そして、ライバルでもあり、親友でもあり、倒すべき存在でもある。そんな二人の関係を鈴木敏夫の著書「天才の思考 高畑勲と宮崎駿」をもとにまとめてみた。
宮崎駿と高畑勲の奇妙なエピソード
ここでは、宮崎駿と高畑勲の奇妙な関係性を表すエピソードをまとめてみる。
『風の谷のナウシカ』高畑がプロデューサーを引き受けず、宮崎が号泣。
漫画で連載していた「風の谷のナウシカ」の映画化にあたって、宮崎駿が鈴木敏夫に出した条件が、高畑勲をプロデューサーにすることだった。
鈴木は、高畑に依頼するが、引き受けてくれず。
挙げ句の果てに、高畑は、大学ノートに「プロデューサーとは何か」について資料をまとめ、その最後に、だから私はプロデューサーに向いていないと締めくくっていたそうだ(笑)
鈴木は根負けし、宮崎駿に交渉失敗したことを告げると、急に飲みに誘われたという。
宮崎は、日本酒を一気に空け、俺は高畑勲に青春を捧げたのに何も返してもらっていない、と話し号泣した。
宮崎が画面構成を務めた『アルプスの少女ハイジ』(高畑勲監督作)などで散々、高畑に振り回されたにも関わらず、その恩を何も返してもらっていないということが言いたいのだろう。
そんな宮崎の姿を見ていたたまれなくなった鈴木は、「あなたは友人のためになぜ仕事を引き受けないのか!!」と高畑を怒鳴りつけ、結果プロデューサーを引き受けてもらったそうだ(笑)

『風の谷のナウシカ』公開後、高畑の評価は30点、宮崎激怒。
『風の谷のナウシカ』の公開後、制作スタッフへのインタビュー集『ロマンアルバム』が出版される。
そこで、インタビューを受けた高畑勲は、本作をなんと30点と評価したのだ(笑)
高畑のロマンアルバムでの発言が下記だ。
高畑:プロデューサーとしては万々歳なんです。ただ、宮さんの友人としての僕自身の評価は、30点なんです。宮さんの実力からいえば30点。(ロマンアルバムより)
高畑の言いたいことがわからないでもないが、「30点」とはあまりにもひどい(笑)自分がプロデューサーを務めていることは完全に棚に上げている。
宮崎はある日、この高畑の発言を読んだようで、鈴木をよびつけて、こう怒鳴り上げた。
鈴木:「なんだ、この本は?」と。「おまえが作ったんだろ?」と。「こんなくだらない本、なんで作ったんだ?」(鈴木敏夫の『ジブリ汗まみれ』より)
興奮した宮崎に鈴木はこう恫喝されたという。
そして、その後に怒った宮崎がとった行動を鈴木は生涯忘れることができないと語る。
鈴木:その本を手に取ったんですよ、両手に持って、本をふたつに引きちぎったんです。「すごい力だ!」ってそこで感心するんですよ! だって、あれ出来ないですよ、ぼくあとでやってみたけれど。(ジブリ汗まみれより)

高畑へのライバル心でトトロの上映時間が伸びた。
同時上映となった宮崎駿監督作「となりのトトロ」と高畑勲監督作「火垂るの墓」の制作現場でも二人の争いが繰り広げられたそうだ。
「火垂るの墓」が当初の上映時間60分の予定から80分程度に延びるということを聞きつけた宮崎は、対抗心でトトロも無理やり延ばすことに(笑)
宮崎はいつもスケジュールや上映時間を守るため、平気で守らない高畑勲の態度を見て腹がたったのだ。
そこで宮崎は、当初女の子一人とトトロの交流の物語の予定だったのを、上映時間を延ばすために、サツキとメイという二人の姉妹の話に強引に変えていくことに(笑)

宮崎は、火垂るの墓の制作現場が気になり、自分で調べて制作の進行具合を正確に掴んでいたという。自宅でも奥さんに「火垂るの墓」の話ばかりし、「あなたは会社で一体なにをつくっているの?」と怒られる始末。
「火垂るの墓」の制作が遅れぎみだったために宮崎は、火垂るの墓クーデター計画書なるものをわざわざつくったそうだ(笑)
宮崎がつくった謎の計画書には、「どんな作画、動画にすれば公開に間に合う」という技術的なことが書き連ねられていたという。
それを鈴木に渡し、これを高畑さんと話してとおせっかいをしてきたのだとか(笑)
「おもひでぽろぽろ」なかなか監督を引き受けない高畑に宮崎またしても激怒
「火垂るの墓」で未完成のまま映画を公開してしまった高畑には、映画界から新作のオファーが来なかったそうだ。そんな高畑を心配した宮崎は、「おもひでぽろぽろ」の監督を高畑に、自身がプロデューサーにつくことを考案したそうだ。宮崎駿がプロデューサーにつけば出資も受けられる。鈴木が高畑のもとへ監督のオファーへ行くと、案のじょう、なぜ自分が監督をすべきかということを延々と議論されたようだ。監督を引き受けないまま半年が経ち、宮崎駿も高畑との打合に同行することに。宮崎は、様々なアイデアを高畑へぶつけたが、高畑は次々と否定していったそうだ。宮崎は怒りを爆発させ、
いい加減にしろ!パクさんはひとつもアイデアを出さないで、人が出した企画を壊すだけじゃないか。やる気がないなら、ないと言ってくれ!(仕事道楽スタジオジブリの現場より)
宮崎のあまりの剣幕に高畑もやがて納得し監督を引き受けることに。制作が始まるが、高畑の異様なこだわりにまたしても制作は遅れぎみとなった。宮崎は、会議室に高畑含めメインスタッフを集め、怒鳴り上げたという。
絵の描き方を変えろ!こんなことをやっていては、いつまでたっても終わらないぞ!(仕事道楽スタジオジブリの現場より)
高畑はうなだれ、「はい」といったらしいが、会議の後、スタッフへ描き方は変えなくていいからね、と話してまわったそうだ(笑)
「平成狸合戦ぽんぽこ」 急に製作中止を訴える宮崎駿
「紅の豚」を制作中の宮崎駿がある日、鈴木敏夫にこう言い出した。
俺が豚をやったんだから、高畑さんには狸をやってもらおう!(「天才の思考 高畑勲と宮崎駿」より)
なんとも、むちゃくちゃな企画の始まりだが、高畑は、以前から日本固有の動物である狸にまつわる話を誰かが映画化すべきだと話していたらしい。鈴木は、ある日、高畑のもとを訪ね、宮崎の言葉をそのまま伝えたという。
高畑さん、また宮さんが無茶を言い出しました。「俺が自分を主人公にして豚を作ってるんだから、高畑さんは狸だ」って言うんです。
「いったい何を考えているんですか!」と怒られました。(「天才の思考 高畑勲と宮崎駿」より)
鈴木は、狸をテーマとした「腹鼓記」を書いた井上ひさしを高畑との打合の場に呼んだりし、高畑が興味を持つように様々な手をこらした結果、高畑はある日、自然をテーマとする企画で進めたいと言い出し、無事に映画の制作が始まったそうだ。
ある日、ぽんぽこのシナリオができたことを聞きつけた宮崎は、鈴木のもとを訪ね、こう話したという。
宮崎:シナリオできたんでしょ、鈴木さん
鈴木:ええ、おかげさまで、何とかできあがりました
宮崎:多摩ニュータウンが舞台なんだって?
鈴木:そうなんですよ。おもしろくなりそうです。
次の一言に、僕は一瞬凍りつきました。
宮崎:制作中止にしよう
(「天才の思考 高畑勲と宮崎駿」より)
宮崎は、自分はいつも作品を1年で仕上げるのに、2年かける高畑を許せないと言い出したらしい。これじゃ、自分はジブリの傍流で、高畑さんが本流なのかと主張したという(笑)
翌日は、制作中止にしないのなら、俺がジブリを辞めると言い出す始末。そんなやりとりが一ヶ月ほど続いた仲、宮崎は体調を壊し倒れた。宮崎は、「紅の豚」の制作のストレスが相当たまっていたようだ。
鈴木は、ある日、一か八か会社を休んだという。その日に宮崎は直接、高畑と話し、わだかまりは解決したという。
宮崎駿が語る高畑勲との出会いと凄さ
そんな、どたばたを繰り返した宮崎駿と高畑勲。宮崎は、高畑勲のお別れの会での弔事で、高畑との出会い、自身が若い頃に打ちのめされたという高畑演出の凄さを語っている。
パクさんの教養は圧倒的だった
東映動画労働組合の副委員長を高畑、書記長を宮崎が務めた時。
組合活動の中で、宮崎は高畑の圧倒的な教養を知り、巡り会えたことに感謝したという。
宮崎:組合事務所のプレハブ小屋に泊り込んで、僕はパクさんと夢中で語り明かした、ありとあらゆることを。中でも、作品について。僕らは仕事に満足していなかった。もっと遠くへ、もっと深く、誇りを持てる仕事をしたかった。何を作ればいいのか(泣き声で『すいません』)、どうやって。パクさんの教養は圧倒的だった。僕は得難い人に巡り会えたのだと、うれしかった。(シネマトゥデイ 宮崎駿、盟友・高畑勲さんに涙の言葉<開会の辞より)
何という圧倒的な表現だろう
高畑勲の初監督作『太陽の王子 ホルスの大冒険』へアニメーターとして関わった宮崎駿は、初号試写を見た時に、高畑の演出意図を初めて理解して、動けなくなるほど打ちのめされたと語っている。
宮崎:初号を見終えた時、僕は動けなかった。感動ではなく、驚愕に叩きのめされていた。初めて迷いの森のヒロイン、ヒルダのシーンを見た。作画は大先輩の森康二さんだった。何という圧倒的な表現だったろう。何という強い絵。何という優しさだったろう。これをパクさんは表現したかったのだと、初めてわかった。パクさんは、仕事を成し遂げていた。(原画の)森康二さんも、かつてない仕事を仕遂げていた。大塚さんと僕は、それを支えたのだった。(シネマトゥデイ 宮崎駿、盟友・高畑勲さんに涙の言葉<開会の辞より)


